d-torso のはじまり その3
d-torsoのはじまり(その三)~d-torso 製品化への道のり~
d-torso 初号機をカッターで切り出して組立てたときは
泣きたくなるほどたいへんでしたが、
製品として量産化するということは、
手作業とは全く種類の異なった問題があるのです。
私自身も、それまではなにげなく使っていた工業製品の数々を
あらためて見直すことになりました。
(前回からのつづき)
段ボールを「切る」方法を試行錯誤した結果、
最終的にレーザーに行き着いたのですが
レーザーが紙を焦がすという問題は依然として未解決でした。
そして最終的には d-torso 専用のレーザーカッターをつくる必要がある、
というところに行き着くのです。
そのきっかけになったのは、ある人物との出会いでした。
尼崎彫刻工業の現会長、荻野寛一郎氏です。
当時はアマテックというレーザー専門の別会社があって
私はネット検索でこの会社を発見し、はじめて電話したのです。
・・・11年前のことです。
折しも荻野社長(当時)が数日後に東京出張の予定があるということで
当時私が住んでいた柏市までアシをのばしてもらいました。
柏駅前のとある喫茶店で待合せし、私はd-torsoの1/3縮尺模型を持って
行ったのです。
「こんなものを作りたいんですけど・・・・」
それまでの制作の経緯を説明し、焦げの問題、コストの問題などなど
レーザーのもっとも基本的なところから教えてもらいました。
そして、荻野氏ご自身の経歴についても。
驚いたことに、レーザー機械は発振器以外すべて荻野氏が自分で設計し、
組みたてているのだということ。それもほとんど独学で。
(>>> 荻野会長の人となりについてはいつかブログでご紹介します)
最初はアマテックに賃加工で製造を発注していたのですが
開発のスピードを上げるためにはどうしても手もとにレーザーが欲しい。
それでアマッテックが使っていた中古のレーザーを改造してもらって
段ボール専用のレーザーカッターを製作してもらったのです。
段ボールの焦げを最小限に抑えるためにレーザーの出力とスピード、
そしてアシストエアのバランスが肝になりました。
注)アシストエア=レーザー光線を射出するとき、同時に圧縮空気を
切断箇所に吹き付ける
これがd-torsoレーザーの一号機で、以来この10年間で4台のレーザー機を
製作してもらいました。もちろん新しくなるたびに性能も上がり、
最新機は一号機と比べて、10倍以上のスピードが出せるようになっています。
そしてこのレーザー設備一式、当時の価格は約500万円。
立ち上げたばかりのアキ工作社にとって、はじめての大きい投資でした。
会社と言っても私一人なので、この先事業として成り立つかどうかわからない。
d-torsoにそんな大金をつぎ込んでいいのか?
当然周りの反対意見もあったのですが、私としてはレーザー機がないと
これ以上先に進めないと感じていたので、なんとか資金をかき集めて購入しま
した。
当時わたしは友人のアーティスト、デザイナーと三人で羽田の廃業した町工場を
借りてスタジオにしていて、このレーザー機はそこに置くことになりました。
そして、いざ自社生産というときに・・・
・・・問題発生。
実際レーザーを稼働させ始めると騒音がことのほか大きいのです。
レーザー自体のキーーンという高周波と
コンプレッサーのドッドッドッ・・・という重低音。
鉄骨造の建物ではとくに響きます。
同居のメンバーからも苦情が出てきて
やむなく引っ越しすることになりました。
東京都内でも作業場になる物件をいろいろと探しました。
でも・・・あるにはあるが、家賃が高すぎる。
いっそ、実家のある安岐町(大分国東市)に帰ろうか!
(もともと会社の登記は安岐町で行っており>>>だからアキ工作社
ゆくゆくは田舎に引っ越すつもりではあったのですが)
・・・ということで、そこは思い切りよく
翌月には引っ越しのはこびとなりました。
2001年2月のことです。
故郷と言っても、私自身は3歳くらいまでしか住んでおらず
幼なじみといえる友人もいません。老いた両親が住んでいるだけでした。
その両親のツテで醤油屋さんの倉庫をお借りして
そこにレーザーを設置し、田舎での生活&d-torso事業がスタートすることに
なります。
自社生産が可能な環境がようやくできました。
極小サイズながらメーカーとしてのスタートです。
(次回につづく)
この続きは次回、わたしの当番のd-torso NEWSにて。
お楽しみに!
以上はメルマガに連載中の「d-torso のはじまり」の第三回目配信です。
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